小さき森を愛する花  瑠璃唐草物語

瑠璃唐草の別名はネモフィラ。ギリシャ語のNemophila は、ギリシャ語の 「nemos(小さな森) + phileo(愛する)」が 語源とされています。そんな愛らしくも健気な花のように生きていきたいと思います。

過保護と母性と過干渉と・・・。

母親が、子どもを育てる時に、どうしても時に、必要になってくる

保護と干渉。

 

しかし、それも度が過ぎると、過保護・過干渉と言われ、子どもの

健全な人格形成や、体のバランスの良い発育にも、少なからず

良くない影響を与えてしまう事もある。

どこまでが保護で、どこまでが過保護なのか・・・・。

 

どこまでが許される干渉で、どこまでが思いとどまるべきか干渉なのか・・・。

世のお母さんたちは、きっと自問自答してきたことだろう・・・。

必ずしも、過保護で過干渉な環境で育った子どもが、犯罪に走るわけでもなく

また、逆に、放任主義で育ったこともが、必ずしも、人生の道を誤るわけでもない。

 

さて、どこで線引きをしたものか・・・・。

難しい線引きだ。

「やだ、あなた過保護過ぎじゃない~。」

そういう他人の杓子定規で、NGを出された時が、そのサインなのだろうか?

 

いやいや、人それぞれ価値観は、違うからね・・・。

一概には言えない。

 

でもね、少なくとも、子どもだちが、大人として歩みだしたら、

余計な手出しは控えた方がいいと思う。

勿論、大人として、歩みだす時期が、20歳とは限らないし、

むしろ、早熟な子は、思春期以前に、自分の道を見定めて、親の手を

極力排除したいと思っているかも知れない。

 

要は、その一人一人の子どもと、お母さんの、絶妙な掛け合いでしか

掴み取ることができない「潮目」なんだと思う。

 

その潮目を感じたら・・・・。

「幾つになっても、我が子」という「錦の御旗」は

心にしまっておいて、遠くから見守るしかないよね。

 

血のつながった親子ですら、そうだもの・・・。

まして他人は・・・。

大人同士の繋がりというものは、もっと、程よい距離感でないと

色々問題が起こってしまうと思うけどね・・・。

 

仕事とか、ご近所付き合いとか、親戚付き合いとか・・・。

ある程度、「浮世の習い」で、仕方なく関係を維持せねばならない

間柄ならまだしも・・・。

 

何故に、そうでない間柄で、過保護や過干渉が、許されているのだろう?

「愛が溢れすぎて、他人の事が、心配で、心配でしょうがないの!」

なんていう、お節介おばさんは、昨今、少なくなった気はするのだが・・・。

 

ちょっとディープな世界の、スピリチュアル界隈では、そういう

「愛」が、溢れて、そこら中、愛の洪水を引き起こしている人が

結構いらっしゃるようで・・・。

 

いやいや、「愛の洪水に溺れたい!そこで死ねるなら本望だわ!」

という「未来の愛のどざえもん候補」を、熱望する方には、念のために

救命胴衣を、そっとお渡しして、健闘を祈るばかりですが・・・。

 

そうは思えない、「愛」はスパイス程度で、適量主義よ!と

仰る粋な「人生の熟練航海士」の方には、是非に、考えて頂きたい

問題があります。

 

巷に流行る拝金主義の教祖様や、信者は「私の為にある!」を

有言実行されている、女王様と奴隷主義の教祖様。

この方たちの共通アイデンティティは、「過保護」と「過干渉」

で出来ているんじゃなかろうか・・・・ってこと。

 

「あなたの為に・・・」

「あなたの家族の為に・・・」

「恵まれない方の為に・・・」

 

「他の全ての方の為に」

「地球の為に・・・」

「宇宙の為に・・・」

 

「貴方のお金と、時間と、人生全てを捧げなさい」

 

この美しすぎるフレーズに、酔っぱらって、人生を棒に振っていらっしゃる

健気な方の、多い事。

 

きっとね、皆さま母性が、有り余っていらっしゃるのね・・・。

母性を、湯水のごとく周りに振りまいていらっしゃる、神々しき方々。

 

しかし、皆さま、本当に、おしあわせですか・・・・?

人生の、生活の、健康の、お金のバランスは、大丈夫ですか?

 

本当は、疲れていらっしゃいませんか?

 

母性は、そんなに、手あたり次第振りまかなくてもいいものですよ。

愛は、そんなに、溢れさせなくてもいいものですよ。

愛も、母性も水のようなもの・・・。

あまりに溢れすぎると、大切さに気付けないじゃありませんか。

 

水と言えば、H₂Oですね。

 

 

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こんな風に、酸素一つに水素二つで、成り立っているのが

水です。

この形が、安定しているんですよね・・・きっと。

O(酸素)が母性だとしたら、H(水素)が、愛。

両手に一つづつが、一番バランスいいんだと思いますよ。

 

だから、水は、サラサラと流れるし、無味無臭だし、

どんな形にも沿えるし、色んな物質とも、融合し合える。

 

もし、O(酸素)の周りに、沢山のH(水素)が、くっついて

いたらどうなるんだろう?

科学音痴なので、解りませんけど・・・。

 

本来の水のように、人類にとって、無くてはならない存在とは

違うものになってしまいそうですね!

 

H(水素)=愛としたら、愛を欲張らず、さりとて、全て

手放したりせずに、バランスよく生きていける事こそ、

本当の母性を発揮できるんじゃないだろうか・・・・。

 

拝金主義と奴隷主義の教祖様だって、水なきゃ生きていけないでしょ?

そろそろ、ご自分の周りの余計なものを、手放して、水の様に、

サラッと生きてみては如何でしょうか?

 

信者さんのために・・・・という過保護。

こうしなければ、正しい道を歩けない・・・・という過干渉。

信者さんは、貴方の子どもじゃありません。

立派な他人の大人です。

 

そんな大人に過保護と過干渉をするのは、余計なお節介どころか

それぞれの「人生の課題」を邪魔するようなもの。

学ぶことは、この辛い三次元劇場で、十分過ぎるぐらいできるのです。

その学びの時間を、これ以上搾取することは、許されません。

 

みな、それぞれの課題に戻って、一人一人、自分の「心」と

向き合うべき時だと、私は思います。