小さき森を愛する花  瑠璃唐草物語

瑠璃唐草の別名はネモフィラ。ギリシャ語のNemophila は、ギリシャ語の 「nemos(小さな森) + phileo(愛する)」が 語源とされています。そんな愛らしくも健気な花のように生きていきたいと思います。

人の心に寄り添うということ。

人が、幸せの絶頂に居たら・・・。

 

たとえ、自分が不幸のどん底に居ても、その幸せを疎まずにいたい。

たとえ、その人の幸せの絶頂が、長くは続かぬと解っていたとしても

その瞬間は、一緒に喜んであげたい。

幸せは中々、長く続いてはくれない。

猶更、幸せの絶頂なんて、ほんの一瞬の出来事だ!

その一生に何度も来ないかも知れない「幸せの絶頂」ってやつに

水を差して、一気に冷めさせる権利なんて、他人にはないと思うから。

 

人が、不幸のどん底に居たら・・・。

 

ただただ、そっと、その人に寄り添うしかない。

どんな言葉をかけても、どんな思いやりを示しても、

不幸のどん底に居る人には、届かないかもしれないけど・・・。

ありきたりの慰めや、涙を拭うハンカチを手渡したとしても

その人にとっては、無神経なお節介かもしれないから、

悲しみを遮る言葉を、無暗に投げかけたりしない。

怒りに震える言葉を、無暗に遮ったりしない。

荒れ狂う心の叫びを、糾弾したりしない。

 

まずは、その人の心の波が、静まるのを、そっと待ってみる。

その波を、穏やかにする「言葉」を探してみる。

その人の「心」の位置を、只管探してみる。

その位置が、たとえ断崖絶壁だったりしても、無暗に

その人の手を引っ張って、安全な位置へと引き戻したりしない。

その人が、その位置から、少しづづ、自分で安全な位置へと

戻れるのを、待ってみる。

その人が、自分で歩いて、安全な位置へと戻ることが大事だから。

誰かに引き戻されたんじゃ意味がない。

 

その人が、安全な位置へと戻り、一人で歩いて行けると解ったら

決して深追いはしない。

その人が、一人で歩いて行けると信じて、送り出すだけ。

 

寄り添うことに、自分の正義を乗っけたりしないように。

寄り添ったことに、いつまでも執着しないように。

いつか、寄り添った事すら、忘れてしまえれば、本物だと思う。

 

そうなれる自分を目指して・・・。