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西遊記でおなじみの「孫悟空」は觔斗雲(きんとうん)に乗って空を飛ぶです。孫悟空は物語なのでフィクションと言えばフィクションです。
その孫悟空は「須菩提祖師(すぼだいそし)」という仙人の弟子になり、孫悟空と言う名を与えられたとされます。この須菩提祖師(すぼだいそし)は釈迦の十大弟子の1人とされていますが、諸法皆空を悟った第一人者のことです。
私は孫悟空という名を見た時、
悟空は「空」を「悟った」物の意であることは簡単に理解しました。その「悟り」は「吾(わ)れ」の「心」です。自分(吾)の心を覚ることが「悟」です。「空」は般若心経の「色即是空・空即是色・受想行識」で理解出来ることです。座禅で坐ったから解るではないのです。
私は何事も座れば解ると言う人は【座禅バカ】と言っています。単一の示(衣)しか頭の知恵が回っていないのです。同じ座るのであれば禅の開祖達磨大師の「壁面九年」の故事を知って、初めて「ダルマ(真理)」の意味が解るのです。「九」から学ぶのです。
私は大本教神諭の「ダルマ(達磨)大師として現れた」を見た時、?と首を傾げました。ダルマとは「真理」のことであり、達磨(ダルマ)大師の壁面九年の事柄は壁を見つめて「九」で、壁でなく紙に「九×九」を示した意味かと勘づきました。禅は「単」を示す以上、そこから一つの事柄が見つけられるです。
言葉の仕組みとは、皆さんの想像を絶するほどの仕組みで成り立っているのです。
禅(禪)=単なる示し
九つ花の上下左右とも「五番目の口」は「41」の位置に成り立ちます
五番目の口で悟る心は、人に内在する良心神です
この存在は私達の魂の内では天帝の分魂が坐る位置ですが、私達からする私達の魂の天帝の分魂は主の御子格ではなくて、主の「孫格」に当たるのです。で、「孫悟空」となるのです。
大本教神諭が予告した「九つ花」とは、西遊記を読めば魔王が出した【九の数理盤】のことだと簡単に解るのです。
その孫悟空の「猿」が意味することは奇魂の働きである【叡智】なのです。叡智をもっての「悟」りなのです。いくら「禅」で坐っても「単」の示(しめすへん)しにしか過ぎないのです。
西遊記ではこの須菩提祖師(すぼだいそし)は「仙人」とされますが、この雲に乗るは仙人の術である「仙術」とされますので仙人ならば雲に乗るとなります。
この日本で「雲に乗った仙人」として有名なのが【久米仙人】の話です。今昔物語集などではその話が語られています。仙人修行で仙術を得て雲に乗ったが、川で洗濯している女性のふくらはぎに見とれて雲から落ちてしまった。そしてその女性と結婚をして俗人となったが、その後に遷都に運ぶ木材を仙術で都に運んだことで有名になった話です。
それはフィクションであるかどうかは解りませんが、昔話としてあっても、誰も現実に雲に乗った人など見たことはありません。しかし、霊体であれば観音菩薩や如来図で描かれるように可能な話なのです。
神言会
以上、神言会さまブログより引用させて頂きました。
いや~西遊記も知っていたし、お釈迦様の十大
弟子の事もしっていたのに、この二つに繋がりが
あることに、今、やっと気づいた私。
悟空って、あんまりお気楽に使っちゃいけない
「名」だったのね~。
漫画や、テレビアニメや、ドラマの影響で、
すっかり身近な名前になってしまって
おりましたわ~。
お二人の、素晴らしい記事に感謝です!
神言会(kamikotokai.com)のプログ