繋がる
久々に、ブログを再開された人のところへ、メールを入れた。
少し、悩んでいらっしゃる気配がしたので、お節介メール。
ちょっと、荷物を下して、一瞬でも、笑って、「ま、いっかぁ~」
って思ってほしかったので・・・。
コメントにしなかったのは、公開されて、見て欲しくない人に
知られることを避けるため。
メールを送った人は、「第三の眼」が、開いている人。
彼女は、私より、はっきり、くっきり意識して、その第三の眼を
使える人。
しかし、それだけに、余計なものを見てしまう事も多くて・・・。、
彼女は、霊的な障りも多いけれど、それ以上に、現実の生活も
課題を抱えた「お里の修行」が、大変そうだ。
でもできれば、その「お里の修行」に潰されることなく、飄々と
生き抜いて欲しいと、心から願っている。
時々繋がり、時々途切れ・・・・そして、また繋がる。
それが、決して不自然ではなく・・・。
そんなご縁が、長続きするご縁というものかも知れない。
偶然か、必然か・・・・。
久しぶりに、気になって、以前、よく
読ませて頂いていた方のブログへと飛んだ。
暫く休止されていたのだが、少し前から、
また再開されていたようだった。
3記事ぐらいは、日常の話が書かれていたのだが、
今日の記事は、ちょっと違っていた。
以前、彼女がアイコンとして使っていた
オリジナルの絵が最初に掲載されており、
思わず、懐かしい気分になり、読み進めて
いると、その絵が、某展覧会にて発表されたと
書かれていた。
それは、良かった~と、尚も読み進めると、
最後に、ビックリする展開が・・・・。
なんと、驚くことに、その絵の題名が、私が
別のブログで使っている、
ハンドルネームと同じだったのです。
私のハンドルネームは、某有名な方の名前を、
わざと一文字違えて、作ったものです。
勿論、一文字違うだけで、全く重みが違ってくるの
ですが・・・。
「それって、ホントに○で良い訳?△の
間違いじゃない?」
って、思わず、心で突っ込んでしまいました。
ちなみに、○=ア、△=マ です。
コメント入れていいのかどうか・・・・迷う。
師と死と志 (長文ですが・・・・何か? 40代以上の方は、老眼鏡を用意してね)
「し」と読む漢字は沢山あるけど、私の中で、
今、繋がるキーワードは、下記の3つだ。
ざっくり意味を記してみると・・・・。
師とは・・・・
死とは・・・・
-
1.《名・造》命が絶える。しぬ。なくなる。「死の商人」(兵器を売ってもうける商人)
-
2.生気がない。活動力がない。「死灰・死文・死角・死火山」
志とは・・・・
-
1.こころざすこと。こうしようと心に決めたこと。「―を遂げる」
-
2.厚意。親切。「お―を感謝します」
-
1.心が、ある目的に向かって動く。目的をたてる。こころざす。目的。めあて。こころざし。立てた信念。まあ、日本人なら、特にわざわざ意味を記さなくても、意味は解っている、お馴染みの漢字だ。この同音異義語が、一体、どう繋がっていくのか・・・・ってことが肝心の話なのだが・・・。どんな人でも、「師」と呼ばれる人、職業の人(医師とか教師とか牧師とか)に、全くお世話にならずに、死を迎えることは、まずもってないと思う。たとえ、あんまりご縁が無かったわ・・・・・とか、一応関わったけど、特にこれといって「自分の人生に多大な影響」を与えたとは思えないわ・・・なんて思っている人も多いかもしれない。自分から、能動的に選んで学ぶ、従事する、仕えるということでもない限り、「師」とは、自覚なく過ぎ去って行く・・・そんな人に過ぎない存在かも知れない。スピリチュアルな世界でも、「師」と呼ばれる方は、多く存在しているらしい。スピリチュアルカウンセラーとか、ヒーラーとか、霊能者とか、何チャラマスターとか、詐欺師とか、なりすま師とか・・・・・。おっと、最後の二つは、要らないか・・・。(苦笑)三次元世界で、正業と言われる「師」の付く職業の為に、「師」に師事するなら何の問題も無いと思うのだけれど・・・・。所謂見えない世界。スピリチュアル世界の「師」への師事・支持は、余程注意しないと私事とは言え、死児になってしまう可能性があるから気を付けなければならないと、私は思う。(随分、韻ふんじゃったな~。)どんなに有能で、貴方に素晴らしい預言を与えてくれる人だったとしても、ずっと、その「師」の言うがままの人生を、歩み続けていいものだろうか?「え、私、人生失敗したくないもので・・・。」いやいや、成功だけの人生で終わったら、何のための人生でしょうか?失敗は、成功の何倍もの「叡智」と、「慈愛」と「憐憫」とを、貴方に与えてくれる、素晴らしい「人生の師」そのものなんですよ!「いや、今までの人生失敗だらけで、もう二度と失敗したくないからこそ、師事してるんじゃないですか~~。」そんな反論も聞こえてきそうな気もしますが・・・。果たして、そんな「成功」だけを与えてくれる「師」や、貴方の避けてとおりたい問題を苦痛なく、スルーさせてくれる「師」が、本当に、貴方にとっての本物の師と言えるでしょうか?いつかは向かい会うべき「自分の死」と否応なく向き合った、まさにその時、貴方にとってその便利で、有難かった「師」は、果たして、最後まで感謝できる人だったと、心の底から思えるのでしょうか?「いや、思えますとも!」と100%の確信で言える方には、もう何も申し上げる言葉はありませんが・・・。「アレ・・・・待てよ!」と、ちょっと心が揺らいだ、貴方には、今一度、何のために、その師を、師として仰いだのか・・・って事を考え直して頂きたいと思います。私が思う本物の「師」とは、執着しない、執着させない、依存しない、依存させない、必要な叡智を、実用的な技術を、折れることなき志を継続させていけるように、ただ淡々と語り、与え、けして、必要以上の「見返り」を求めない存在だと思っています。そのような、揺るぎない存在が、今現在、この世界に居るのでしょうか・・・。私は、残念ながら、まだ発見しておりません。出会えていません。その存在自体を、信じられません。そりゃそうですよね。「志」とは、
- 1㋐ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。
- ㋑心の持ち方。信念。志操。
- 2相手のためを思う気持ち。厚意。
- 3
- ㋐謝意や好意などを表すために贈る金品。「ほんの―ですが、御笑納ください」
- ㋑香典返しや法事の引き出物、僧への布施の包みの表に書く語。→
- 4 心を集中すること。注意。
- 5 相手を慕う気持ち。愛情。
- 6 死者の追善供養。
全て、一人称「私」で、完結できる事ばかりです。え、独りよがりで、間違うんじゃ?って・・・・。大丈夫!心配めさるな。独りよがりで、間違ったことをしたら、もれなく「失敗」という、貴方にとって素晴らしく厳しい、そして為になる「教師」が、どこからともなく貴方の元に、やって来てくれます。その教師は、厳しいですが、貴方にとって、これからの人生にとって、一番大事なものを、貴方に示してくれるのです。しかも、その教師は、バカ高いお布施も要求しませんし、あなたを依存させませんし、あなたに執着させもしません。だって誰だって、失敗した状態を永く保ちたいとは思いませんからね。私たちは、未熟ですが、それなりに問題に立ち向かい、悩み、解決しようとする「志」を、もれなく持っている筈なのです。その自分自身が持っている「志」に気づこうとせず、信じようとせず活用しようとせず、安直に、「師」と呼ばれる人に依存してしまう・・・・・・。そんな「心」が、詐欺師や、なりすま師と出会う切っ掛けを作ってしまうのではないでしょうか?お釈迦さまの「自灯明」の教え。「自灯明・法灯明」は、釈尊が入滅される前に弟子に示された最後の教えだといわれる。
「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」ということである。
「自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」
とは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのかと嘆く弟子のアーナンダに対して
諭された言葉である。私や他者に頼ってはならない。自己とダルマ(理法)を拠りどころとせよ」と釈尊は説かれた。どんなに細々とした頼りなき「自灯明」だったとしても、困難と、自分の課題に立ち向かう「志」さえあれば、いつか、力強く燃え盛る松明のように、己を明るく照らす「灯」となる・・・と、私は信じています。
最近の、私の一押しトピック!
このブログを始めて、4月に、懐かしの音楽シリーズで、私の大好き
だった曲、「雨音はショパンの調べ」をご紹介した。
ほんとに、その時は、久しぶりに聞いて、「あ~やっぱり名曲やわ~。」
と感心し、曲の世界観に浸っていたのだが・・・。
その「雨音はショパンの調べ」を、日本語でカバーした「小林麻美」さん。
なんと彼女が、今年、突如として、芸能界に復帰したのだった!
マ・・・マジですか・・・・。
曲を紹介した折、気になって最新の情報を調べていたのだが、
たまたま、某歯医者さんと対談している写真を見つけ、
ちょっとボーゼン自失状態に、陥ってしまっていた私。
あのアンニュイで、お洒落カリスマだった小林さんが、
なんと、普通の、おばさんになってる~~~。
彼女の、雑誌の切り抜きを、今でも大事に持っている私としては
ちょっと、油断が過ぎないかい?って思ったのだ。
いや、確かに、60過ぎの方なら、こんなもんか・・・と
思わなくもないのだが、歳は取っても、昔取った杵柄。
おしゃれクィーンの面影が、少しは残っていて欲しかったな・・・と。
最近、一般人だって、美魔女とか言って、結構小綺麗にしているでは
ないか・・・。
引退していたとは言え、芸能界を牛耳る夫を持ち、ご本人も
芸能界でキラキラ輝いていらっしゃったんだもの、もう少し
努力していても良かったのかな・・・って残念な気持ちでいたのだ。
そう感じた半年後、彼女の突然の復帰を聞き、「え、一体何をやるの?」と
思わず驚かずには、いられなかった。
確かに、スレンダーなボディは健在だと思うが、ハイビジョンに
耐えられるの?って、つい心配してしまったのだ。
そんな心配をよそに、彼女は、本来の雑誌モデルの仕事を、
復帰の第一弾としてやり遂げた。
ネットで写真を見ただけなので、なんとも言えないが、さすがに
昔取った杵柄と、ヘアメイクのお陰で、おしゃれっぽい雰囲気に
仕上がっていたようだ。
フランスのマダムって感じの、お洒落上級者な感じ。
これから仕事をやりながら、また「元の勘」ってやつを
取り戻していくのだろうか・・・。
そうだな・・・・バブル世代も、そろそろアラカンになるんだもの。
彼女の、お洒落番長復活は、頼もしい限りかも知れない。
名古屋に翻弄される私。
今年で、9年目になる名古屋市での暮らし。
もう、そんなになるんだ・・・。
何だか、あっと言う間だったな~。
しかし、未だに、この名古屋と仲良くなれない私が、居る。
今日もね、「名古屋を理解しようキャンペーン」の一環として
お昼に、あんかけパスタを食べたんですよ。
まあ、冷凍のオーマイの、あんかけパスタですけどね・・・。
しっかし、食べてる途中で、喉に詰まってしまい、
咽てしまった。
咳き込んで、何度もゴホゴホやっていたら、パスタを
服に溢して、シミを作ってしまうわ、咳き込みすぎて
胸の脇が痛くなってしまうわと、異常をきたし、
思わず、途中で食べるのを断念してしまった。
私の体さえも、名古屋の味を拒否してしまっているのだろうか?
「食」については、結構トライする勇気は、持っている方
なんだけれど、どうにも、マッチしないんだなぁ~。
いやいや、決して名古屋の事をバカにしたり、けなしたりする
意図は、ないんだけれも、どうしても折り合わない「何か」が
私と、名古屋の間には、横たわっている。
まあ、食だけなら、昨今、お取り寄せで、何とか対応できなくも
ないのだけれど・・・。
問題は、むしろ「人」なのかも知れない。
実は、昨年から始まっていたのだが、同じ体操教室に通っている
女性で、実に不可解な、困った行動をする人が、居るのだ。
おそらく、彼女も、私と、そんなに年頃は変わらないアラフィフさん
だと思うのだが・・・。
彼女と私には、全くの共通点が見つからない。
彼女は、髪は刈り上げのように、ベリーショートで、ボーイッシュな
スタイル。 一方、私は、セミロングのストレート。
彼女は、アラフィフとは思えないほどの、スレンダーで、メリハリの
あるスタイル。 私と言えば、ゆるキャラにした方が、お似合いの
ぽってり体形なのだ。
何を、どう転んでも、お互い共通の話題が、見つかるとも思えず・・・。
根っからの人見知り(うっそ~ん)の私としては、軽い挨拶をする以外
彼女との接点は無かった。
そう、ずっと、そういう状態が続く筈だったのだ。
しかし、何故か、不思議なことに、奇妙なほど、彼女とはシンクロ
しまくって行くのだ。
私が、その体操教室へ行くのは、家事を終えてからなので、到着する
時間にも、1~1時間半ぐらいの幅がある。
なのに、8~9割の割合で、いつも彼女に出遭うのである。
まあ、生活サイクルが似てるんだろうな・・・ぐらいで終われば
良かったのだが、このシンクロが、笑えない状況へと、どんどん
陥っていったのだ。
私は、体操教室の帰りに、近隣のスーパーで買い物をするのだが、
ほぼ、ここでまた、彼女とも出会うことになる。
ここまでは、偶然で片付けられるのだが・・・。
ある日、買い物かごを抱え、レジに並ぼうとした時、彼女が
あるレジに並んでいるのに気付いた。
もうすぐ彼女の番であり、彼女の後ろには3人程ならんで
いたので、私は、比較的空いているレジを探し、そこに
並んだ。私の番が来て、店員さんが、POSシステムに商品を
通し、ピッ、ピッ、っと音が流れ始めたころ、私は、自分の
左側に、何か異様な気配を感じた。
気になって、チラッと横目で確認すると・・・・。
なんとそこには、もうとっくにレジを済ましていて良い筈の
そのショートカットの彼女が、並んでいたのである。
思わず、ゾゾ~~~ッと冷たいものが、私の背中を流れた。
「何で? 何で、わざわざ並び直したの?」
ここは、気付かない振りをして、お会計を済ました方が
良いのか・・・・、それとも、別のレジに並んでいた事を
知らなかった振りをして、にこやかにご挨拶した方が
いいのか・・・・。
私は、少々思い悩んだ。
しかし、無視するのも変だしな・・・・。
私は、さりげなく左側に目をやり、一礼した。
思えば、この一件から、彼女の異常行動が始まった気がするのだ。
それからというもの、そのスーパーの、あらゆる角で、私は
彼女と、急激な接近遭遇を果たすことになる。
これが、車同士なら、出会い頭、衝突事故って感じなのだが・・・。
ぼんやりと、考え事をしていて、商品の棚のコーナーを曲がる度、
ぶつかりそうな勢いで、彼女が飛び出してきた。
もう、声もでないくらい、びっくりしてしまう私。
彼女と言えば、まるで、それを予測出来たかのように、何気なく
「あ~ごめんなさい~。」と言いながら、風のように足早に
去っていく。
そんなことが続く内、今度は、同じ時間帯に来て、偶然ね!
と言えないぐらいの、気味の悪いシンクロが待ち構えていた。
私が、体操教室のドアを開けて、「こんにちは~」と挨拶し
靴を脱いで、ロッカーに入れるか、入れないかのタイミングで
彼女が、教室に入ってくるようになったのだ。
そんなことが、あまりに続く様になり、私は、わざと行く時間帯を
ずらし始めたのだが、どんなにずらしても、スナイパーのように
彼女は、私を追って入ってくるのだ。
どこか柱の影が、物陰に隠れて、私が来るのを待ち伏せでもしている
んだろうか・・・と思う程だった。
しかし、ある日、私は、ついに、その秘密を知ってしまった。
その日、珍しく、教室に彼女の姿を見なかった私は、何だか、
ちょっと、ほっとした気持ちで、体操を終え、帰途に就こうと
ドアを開けた。
日差しがまぶしくて、日傘を差そうとした、その瞬間。
道路の向こう側から、私の方を見ている人と目が合った。
その目が合った人こそ、その彼女だったのだ。
彼女は、道路向かいの家の玄関から、ちょうど出てくる
ところだったのだ。
そう、体操教室と目と鼻の先。
道路を隔てた家が、彼女の家だったのだ。
私は、瞬時に理解した。
シンクロは作られたものだったことを・・・。
まさか、彼女の方も、玄関出た瞬間、私と目が合うとは
思わなかったのだろう。
一瞬、ギクリとした間があったのだが、私が会釈すると
彼女も、会釈を返した。
それから、しばらくは、彼女とのシンクロは、発生せず、
その事が、余計に、私の疑念を深めることになった。
私に、家を知られたから・・・何故か、同じ時間に、
よく出会うシンクロが、偶然でないと知られたから、
その行為ができなくなったのだろう・・・と。
勿論、ここで終わってくれれば、私も、思い悩む必要は
無かったのだが・・・。
ほとぼりが醒めたと、思われるタイミングで、また彼女の
作られたシンクロは始まってしまった。
「一体、何がしたいんだろう・・・。」
私と同じタイミングで、体操教室に来て、並んで機械での
筋トレをして、「ほら、見てみて~私って、こんなに細いのよ~。」
「それに比べて、横の人の、太くてみっともないことったら!」
なんて、他の人に誇示したい訳でもないだろうけど・・・。
何かしら、彼女のアンテナに引っかかるものが、私にあったとして
だったら、普通に、話しかけてくれれば、いいってだけの事である。
何故に、偶然を装って、追いかけ回す必要があると言うのだろう?
体操教室での彼女の態度を見ていると、ユーモアもありつつ、わりと
さっぱりとした性格の様に見受けられるのだが・・・。
何で、私には、そういう態度なんだか・・・。
私は、とうとう知らぬふりが出来ない様になりなくなり、極力、
彼女の存在に気づかない様に振舞った。
それに気づいたらしき彼女は、体操教室でのシンクロは、
控えめになった。
しかし、例のスーパーでのシンクロは、もはや、ドリフか
新喜劇か!と、思わず苦笑せずにはいられないほど、
更に、わざとらしい演出になってしまったのだ。
ごく、最近の例だと・・・。
お魚コーナーで、品定めして、今一つだな・・・と思った
私が、隣のお肉コーナーへと、歩みを進めようとした瞬間。
物凄い勢いで・・・突進してくる人が・・・。
そう数量限定のバーゲンに、つかみ掛からんばかりの勢いで
くるが如く、カートを飛ばしてくる人。(まさにそんなスピード)
私の視界の端っこに、スカートをはいた女性が映りこんだが、
この時は、そのスカートと、彼女が結びつかず、気付かなかった私。
お肉コーナーを見て、乳製品コーナーで、バターを買おうか・・・
どうしようか・・・と迷いつつ離れる瞬間に、また・・・。
ダ~~~っつと走りこんでくる人影が・・・。
そこで、初めて、私は、さっきのスカートの人が、彼女だったと
気付いたのでした。
もう、ぞっとするを通り越し、絶句。
私は、そっとパンコーナーに身を潜め、そこから
あまり人の来ないルートへと移動し
彼女が、ついて来ていないのを確認して、洗剤コーナーの
角を、曲がったのでした。
しかし、その瞬間。
そう、また、「私は、知りませんよ~偶然ですよ~。」を
装った彼女と、危うくぶつかりそうになってしまったのです。
余りの事に、ビックリし過ぎて、私は、思わず
「こんにちは!」って言ってしまいました。(苦笑)
彼女は、私の方を一別もせず、「こんにちは~」と
言いながら去って行きました。
ヤレヤレ、まだ、この「偶然の出会い」というヘタな
芝居は、続くんだろうか・・・・。
一回、本人に、聞いてみた方がいいのかね~。
「何か、私に、仰りたいことがありますか?」って・・・。
いや~怖くて、聞く勇気がないわ~。
体操教室を変えるべきか・・・・。
気に入っている教室だけに、悩む。
しかし、教室を変えて、そこにまた彼女が居たら・・・。
(ゾゾ~~~~ッ)
もう、ホラーですな・・・そこまで行ったら・・・。
緊張から解き放たれて、書きたいことは沢山あれど・・・。
試験勉強中、ブログを書きたい衝動に
何度か駆られる事があった。
しかし、書き出すと止まらない気もして、
ぐっと、我慢していた。
今、試験が終わり、どど~~っと緊張から
解き放たれ、書きたかった話題が、
私の頭の中を駆け巡っている。
どれ、どれ、一体どれから書くのよ~~~。
「ハイ!」「はい~」「私、私」と、
私の中のトピックが手を挙げて、
収拾がつかない感じだ。
何から書こうか・・・・。
いきなり核心から、行っちゃう?
いや、久々だしね・・・・。
準備運動なしに書いちゃったら、
コケそうな気がしてきた。・・・。
ちょっと準備運動を兼ねて、宅建試験
こぼれ話から、書いてみましょうか?
10月16日、それが決戦の日だった。
いつもの日曜日なら、朝早くから仕事に
出かけているのだが、その日は、夫と息子を
仕事に送り出し、私は、仕事を休み、
試験に備えた。
もうね、当日だもの。
ハードな勉強は疲れる。
何せ、四十の手習いどころか、アラフィフ
真っ只中なのだ。
やれ、覚えが悪いの、忘れるのが早いの、
頭が固いの・・・なんて言うよりも、
「目」「文章を読む目のスペック」ってやつが、
あまりに脆弱になり過ぎていたのだ。
要は、頭は、勉強をしたくても、目が
ついて行かないのだ。
なので、日々の勉強も、目が疲れたら辞める!
というスタンスで進めていた。
しかも、試験当日は、2時間の真剣勝負が
待っているではないか!
「見る力」の余力は、残しておかなければ、
エライことになってしまう。
そんな訳で、私は、もっぱら最後の勉強は、
「オリジナルの語呂合わせで重要事項を確認」
という作業に徹した。
私が学んだユーキャンの教材にも、追加文書
の中に、教授陣が考えたであろう語呂合わせ
が載せられているのだが・・・。
いかんせん、かなり無理がある語呂合わせ
なのだ。
それを覚えるのに、労力を使うようでは、
何のための語呂合わせなのか!
って文句を言いたくなるクオリティ。
なので、私は、オリジナル語呂合わせを
発明したのだった。
我ながら、なかなかの秀作が出来て、
錆びついた頭でも、しっかりと
覚えることができた。
しかし、残念ながら、「統計」の分野の
細かい数字を、語呂合わせで完璧に覚えたにも
関わらず、あまり細かい数字が出なくて、
ガッカリ!
あ~~、私の語呂合わせちゃんの、出る幕
が無かったわ・・・。
去年、余りの、難問・奇問・意地悪問に、
時間が不足気味だった私は、
今回、50問の内の、一番最後の方から
解いていくという、奇襲作戦に打って出た。
50~46問までは、所謂、五問免除
という分野で、意外と簡単な問題が
多いからだ。
そして、次は宅建業。
つまりは、宅建士にとっての、一番肝
となる分野である。
ある意味、点数の稼ぎどころでもある。
去年は、以外に、この分野が難しかった
んだよね~。
勿論、宅建業の分野を、私も得意としていた
のだが、重箱の隅を嫌らしく突く!
的な問題に、翻弄されたっけ・・・。
ところが、今年は・・・。
問題を、解き進めるにつれ、
「あれ・・これって・・・。」と
思う程、めちゃくちゃ素直な問題が多い。
「あ~さては、去年と趣向を変え、
きたんやな~。」と、頭の中で予測発動。
「こりゃ、サクサクやっていかないと、
民法で、時間食ってしまうわ。」
そう計算した私は、宅建業の分野は、
あまり悩まず、即答で答えを
導いて、そのままマークシートを
塗りつぶしていった。
宅建業分野を終え、次は法令上の制限。
これもまた、数字オンパレードの厄介な
分野である。
細かい数字を覚えることも、メンドクサイ
のだが、それ以上に厄介なのが、
制限される数字の、以上・以下・未満・
超えるという表現が、規制される数字ごとに
違うことである。
「もう、いっそ全部、統一しちゃえよ~~~。」
って思わず言いたくなるほど、
入り乱れている。
たいして、意味があるとも思えないのだが・・・。
まあ、そうは言っても、覚えなくては
始まらないので、
仕方なく覚えはしたが・・・。
法令上の制限も、なんとなく突破し、
「あれ、こんな簡単でいいんかい??」
という疑問が・・・。
「うわ~民法、難しすぎて、手が出なか
ったら、もう勘でマークシート
塗りつぶすしかないのか・・・。」
そんな絶望感が押し寄せてくる。
そして民法に突入。
去年の難題の宝庫だった民法。
しかし・・・「あれ? まじで・・・。」
嘘みたいに、素直な問題ではないか・・・。
過去問で、よくお見掛けした枝肢のような内容。
ゆっくり問題を解いていったお陰で、見直す
時間は15分ほどしかなかったものの、
もう一度、真剣に再考し直すほどの難問も無く、
試験は、あっさりと終了したのだった。
試験の内容も、去年とは違ったが・・・。
試験を受けている人たちの感じも、昨年とは、
大違いだった。
終了したときの、疲労感と、絶望感が、誰にも
感じられない明るく、自信に満ちた
晴れやかな顔が多かった。
私の、隣と、前の席は、私と同じく、
おばちゃんだったのだが、
彼女達も、余裕の表情だった気がする。
隣のおばちゃんなどは、私が、同じぐらいの
年齢だと気づいて、試験前にも、チラチラと、
こちらを覗き込んでいたのだが、
私は、一切気づかないふりをしていた。
話しかけられでもしたら、えらいこっちゃ
だからである。
女子だけの会場という特殊な空間なので、
異様に静なのである。
女子は、真面目。
試験の始まる瞬間まで、教本に目を通して、
お喋りする人は、
一人も、いないのである。
お喋りなんぞ、しようものなら、真面目に
勉強している人に迷惑をかけてしまう。
喋りかけられないように、隙を
与えないのが一番。
おばちゃんは、こういう時、空気読まない人
多いからな~。
ま、私も、おばちゃんなので、人の事は
言えないが・・・。
試験終了後、家に戻り、おにぎりを一つ食べた。
溜まっていた、アイロン掛けも済ます余裕が、
今年はあった。
去年は、ヘロヘロで、とても、そんな気が
起きなかったもんね~。
翌日になって、ユーキャンの解答速報を見て、
答え合わせを行った。
結果は40点(50点満点)
ここ十年の、合格足切点数は、最高点が36点
だったらしい。
本来なら、合格安全圏を突破したと、喜びたい
ところだが・・・。
何せ、今年は、問題が易しすぎた。
他の資格取得学校の合格点予測を見てみたが、
概ね34~37点の範囲に収まっていた。
そうかな・・・・。
本当に、その点数で収まるのかしら?
去年の、難しい問題ですら、31点だった
というのに・・・。
今年、足切点数の上限、更新してしまうん
じゃなかろうか・・・。
試験会場での、みんなの自信満々な顔を
思い出すたび、私はそう思えて仕方なかった。
上位15~17%ぐらいで、足切される宅建士試験。
11月の発表があるまでは、安心できないのだ。
しかし、死力は尽くした。
個人的には、後悔は、微塵もない。