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小さき森を愛する花  瑠璃唐草物語

瑠璃唐草の別名はネモフィラ。ギリシャ語のNemophila は、ギリシャ語の 「nemos(小さな森) + phileo(愛する)」が 語源とされています。そんな愛らしくも健気な花のように生きていきたいと思います。

自分の眼で、心で見るということ。

私たちは、日々、色々な物を見、色々なニュースを聞き

色々な出来事に出会って、生きています。

その日々出会う人や、物や、出来事に対して、自分なりのジャッジを下して進んでいっています。

 

 

その見方は、自分の眼で見て、心で考えて、或いは、感性で感じて、今までの経験を基に、ジャッジしていると

思い込んでいます。

 

でも、本当に、そうでしょうか?

 

何となく「そういう雰囲気だったから」「そういう意見が大半だったから」「その意見が妥当に思えたから」

「自分の考えが浮かばないから」

「リーダーが右と言えば右よね」という論理に、知らず知らずのうちに流されては、いないでしょうか・・・。

 

 

いつの間にか、誰かの眼鏡を掛けて、或いは

サングラスを掛けさせられて、物事を見ていませんか?

もしかして、掛けていることすら、忘れていませんか?

孤独を恐れて、自分の心の声に、蓋をしていませんか?

 

自分にとって不快な情報や、異論を唱える存在に耳を塞ぐことは簡単です。

しかし、嫌われるのも厭わず、その情報や、異論を唱える人の真意を、考えてみたことがあるでしょうか?

 

 

くみ取ろうとしたことがあるでしょうか?

 

実は、そこにこそ、本当の自分に有益な情報だったり、真実が隠れているのかも知れませんよ。

 

 

全てを語れないのは、誰かを庇っているからなのかもしれません。

知りたくなかった「真実」を突きつけられた時の、それを知った人の失望を、恐れているからかも知れません。

 

 

 

 

誰かに阿ることなく、何かを考え、判断し、道を進んでいくのは、とても勇気のいる行為です。

 

間違った判断をしてしまうかもしれない。

道を間違えて、崖から落ちてしまうかもしれない。

 

でも、そうなったとしても、自分の決断だから、後悔したりしないでしょう?

誰かの意見に従い、誰かの敷いたレールを走っていて、脱線したら、そのレールを敷いた人を、恨まずにはいられないでしょう?

 

 

自分の進む道は、凸凹でも、なかなか前に進まなくても、それが、あなたの選んだ道ならば、それが一番の

フリーウェイなんです。

 

自分の眼で見て、心で考えて、本当の自分のフリーウェイを見つけて下さい。