自分の眼で、心で見るということ。
私たちは、日々、色々な物を見、色々なニュースを聞き
色々な出来事に出会って、生きています。
その日々出会う人や、物や、出来事に対して、自分なりのジャッジを下して進んでいっています。
その見方は、自分の眼で見て、心で考えて、或いは、感性で感じて、今までの経験を基に、ジャッジしていると
思い込んでいます。
でも、本当に、そうでしょうか?
何となく「そういう雰囲気だったから」「そういう意見が大半だったから」「その意見が妥当に思えたから」
「自分の考えが浮かばないから」
「リーダーが右と言えば右よね」という論理に、知らず知らずのうちに流されては、いないでしょうか・・・。
いつの間にか、誰かの眼鏡を掛けて、或いは
サングラスを掛けさせられて、物事を見ていませんか?
もしかして、掛けていることすら、忘れていませんか?
孤独を恐れて、自分の心の声に、蓋をしていませんか?
自分にとって不快な情報や、異論を唱える存在に耳を塞ぐことは簡単です。
しかし、嫌われるのも厭わず、その情報や、異論を唱える人の真意を、考えてみたことがあるでしょうか?
くみ取ろうとしたことがあるでしょうか?
実は、そこにこそ、本当の自分に有益な情報だったり、真実が隠れているのかも知れませんよ。
全てを語れないのは、誰かを庇っているからなのかもしれません。
知りたくなかった「真実」を突きつけられた時の、それを知った人の失望を、恐れているからかも知れません。
誰かに阿ることなく、何かを考え、判断し、道を進んでいくのは、とても勇気のいる行為です。
間違った判断をしてしまうかもしれない。
道を間違えて、崖から落ちてしまうかもしれない。
でも、そうなったとしても、自分の決断だから、後悔したりしないでしょう?
誰かの意見に従い、誰かの敷いたレールを走っていて、脱線したら、そのレールを敷いた人を、恨まずにはいられないでしょう?
自分の進む道は、凸凹でも、なかなか前に進まなくても、それが、あなたの選んだ道ならば、それが一番の
フリーウェイなんです。
自分の眼で見て、心で考えて、本当の自分のフリーウェイを見つけて下さい。